2009年6月30日火曜日

明治人の姿

 昨日読み終えた櫻井よしこさんの『憂国』続きで、今日は、同作者の『明治人の姿』という本を読んだ。
 
 この本のはじめには、次のような文章が書かれています。「幕末から明治期にかけて日本を訪れた外国人は、日本の庶民に至るまでの教養の高さや品のよい振る舞い、節度や慎ましさを、驚きと敬いをもって賞賛しました。かつて確かに存在した美しい日本の文明。そこで織りなされた日本人の暮らしぶり。言葉のなかに、挙措のなかに、風習のなかに、しっかりと表現されている価値観。そうした諸々のことを今、振り返り、当時の人々の生き方に接することが、私たちの生きているこの現代社会の深い傷を癒してくれるような気がします。」
 
 この『明治人の姿』という本は、明治時代に生きた杉本鉞子さんが書かれた『武士の娘』という本の内容を、櫻井よしこさんのフィルターを通じて紹介したものである。

 この江戸末期から明治時代にかけての時代というのは、どのような時代だったのだろうか?当然、想像することは出来ない。現代のこの日本で起こっている痛ましい事件の数々。子供を殺したり、親を殺したり、お年寄りを狙った振込め詐欺、年金改竄等。このような事件は、江戸末期から明治時代にかけては、起こらなかったのか?

 確かにこの本を読み終えた後は、爽やかな気持ちになった。それは、この時代に生きた杉本鉞子さんの潔い生き方に感銘を受けたのが要因だろう。その潔さというのは、誇り高く生きるということなのだろう。何気なく使っている「誇り」という言葉を手許の辞書で調べてみた。
「誇り」とは、自分の置かれた立場にやましい点は、一つもないという自信を抱く気持ち。と書かれていた。

 その誇りを持つためには、責任や義務を誠実に果たすことなのだろう。そして、その事を武士は最も重要視していたのだろう。それは、今の世の中のように、「権利」や「自由」というものがほとんど皆無に等しいことが原因だったのかもしれない。

 櫻井よしこさんは、一貫して、第二次世界対戦によるたった一度の敗戦で、それまでの素晴らしい歴史すべてを否定しまったことによって、日本人が本来持っている誇りや美徳が失われたと主張されている。

 私自身、「責任」や「義務」よりも「権利」や「自由」を出張する一般的な現代人です。しかし、心のどこかで、明治の人たちの誇りをもった生き方に憧れている部分があります。

 櫻井さんは、この本で次のように書いています。「責任や義務を十分に意識しない人間は強くはなれません。」と。

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